夏は仕事をしたりコンクールの審査をしたり(夏の札幌は涼しかった…)、自作を指導したりとそこそこに暮らしていたので、その振り返りでもゆっくり…と思っていたところ、やはり周囲の話題はこれで持ちきりのようです。
ソフトウェア業界において40年という歳月は非常に長いと言えます。テクノロジー・スタックは変化し、Macと Windowsのオペレーティング・システムは進化し、Finaleのコードも数百万行におよぶ膨大なものなっています。そのため、時間の経過と共にユーザー様に付加価値を提供することが難しくなっているのも事実です。
今日、Finaleはもはや楽譜作成業界の未来ではありません。
(日本代理店のサイトより引用)
MakeMusic社が開発する、楽譜作成ソフトのスタンダードともいえる”Finale”が開発を終了し、発表日の8月26日をもって新規販売も停止する、という衝撃的なニュースです。Twitterなどではこの衝撃をいろいろなものに例える大喜利的展開があったようですが「トップシェアを占めるもの」でいうと、オフィスソフトならWordやExcel、ブログ(CMS)ならWordpressが開発を終了する、といったものに近いと思います。
それにしても、大学生のときに使っていた2002から数えて20年以上使ってきたソフトです。学部の卒業作品や大学院の修了作品、はじめて出版がかなった作品、各種コンクールに応募した作品…と、自分の音楽的ライフイベントのすべてがこのソフトに詰まっているんですよ。もうびっくりですよ。
フラグはあったのか?
今更何を書いても後出しジャンケンなのですが、今考えるとあれは…みたいなことはあったのかもしれません。以下は個人の見解です。
- Mac版2014で「発想記号ダイアログを開くと強制終了する」というバグがなかなか改善しなかった(バグの発生条件がMacOSのマイナーバージョンごとに変わるというとんでもなさ)
- 上記バグを改善した2014.5の日本語版がリリースされなかった
- 年次のバージョンアップが行われなくなった
- 楽譜浄書における新機能が徐々にしょぼくなった(目新しいのは26のアーティキュレーション衝突回避くらいでは?)
- 最新のバージョン系統である27がリリースされて3年、新しいメジャーバージョンのアナウンスがない
- 27で行われたSMuFL(記譜の標準仕様を定めたフォントなどの規格)への対応が中途半端だった
ちなみに、現在の最新バージョンでも下記のようにへんてこなバグ・挙動があります(自分の環境では)。
- 「その他」に属する発想記号をファイル間でコピペすると「その他」カテゴリがダブってしまい、ダブったカテゴリを編集機能で消そうとすると必ず強制終了する。この状態で保存してしまうと修復不可能
- 変形図形を2個以上同時につかんでドラッグすると強制終了する(これはサポートでも再現することを確認してもらいました)
- 歌詞の音引き線がデフォルトだと長さの値を持たず(推測です)予期しない挙動になる。「音引き線の編集」でいじって内部的に何らかの値を与えてやる必要がある
日本の代理店であるジェネレックジャパン(旧エムアイセブンジャパン)にとっても今回の件は青天の霹靂だったようで、日本語版のサイトでは戸惑いとお怒りの様子が落ち着いた文章ながらもじわじわ伝わってきます。代理店契約の即日終了(打ち切り?)というのは恐ろしいスピード感です。
どうなるのか、どうするのか
当初は「現在Finaleが動いているコンピューターでそのまま動作させることは可能(ただしOSのアップデートには対応しない)」「2025年8月をもってソフトの認証やサポートはすべて終了する」というアナウンスがありました。その後のユーザーフォーラム(英語版)におけるあまりの荒れっぷりを見たMM社もさすがに慌てたのか、認証だけは(当面の間?)期限を定めず可能、と方針を転換しています。「本当の終わり」がやや遠ざかりはしたものの、安定してFinaleが動く既存の環境をどう残すかは作編曲や浄書に関わっている人には頭が痛い問題でしょう。自分の場合はマシンパワーに余裕があるので(2023年モデルのM2 Mac mini)仮想環境で古いMacOSを動かすか、あるいは手元の複数台あるMacから1台をFinale専用で残すか…といった選択肢が考えられます。
その一方、既存のFinaleユーザーにはSteinberg社の開発する楽譜作成ソフト”Dorico”の最上位グレードを割引価格(149ドル/20900円)で購入できるアップデート・パスが提供されました。
正規ユーザーである証明(マイページのスクリーンショットなど)を提出して審査が必要です。サイトには2営業日とありましたが、自分の場合は1日もかからず承認通知が来ました。通知が来てからは1ヶ月以内に購入手続きをすませる必要があります。
Doricoへの追い風?
現在、Finaleで浄書された出版譜の多くにストーンシステム社の開発した”Chaconne”という楽譜フォントが使われています。日本の伝統的なハンコ浄書の字体を源流とするこのフォント、かつてはFinaleにも標準搭載されていました(25から非搭載)。そのほか、2004からはこちらも伝統的な浄書の字体をもとにした”Kousaku”というフォントが標準搭載され、こちらも出版譜で見かける機会があります。Doricoに標準搭載されたフォントはやはり海外出版社の浄書を規範にしたフォントなのでしょうか、日本の出版譜を見慣れていると若干アクが強いのは否めません。DoricoではSMuFL規格に対応した楽譜フォントしか使えないので、もはやこれまで…と思っていた中、開発終了のニュースから間もなく、ストーンシステム社の音楽部門からこのような発信がありました。
ツイートではボカシがかかっているものの「すべての音楽家に美しい楽譜を」「浄書用記譜フォント Chaconne EX」「国際標準規格のSMuFL(略)に準拠する形でリニューアル」などの文字が読み取れるような気がします。サンプルも細かいところは見慣れない感じがしますが、Finale製の楽譜に近づくことはできそう。Doricoはもちろん、同じSMuFL規格に対応したMuseScoreなどほかの楽譜作成ソフトユーザーにとっても朗報かもしれません。早期のリリースを願いたいですね。ベータテストがあったら参加したいくらいです。
Doricoを触ってみた
そんなわけでDoricoをさっそく触ってみました。
徒手空拳で(2時間くらい触ってみて)なんとなく自分がFinaleで使っているテンプレートを再現してみました。まだ細かい部分の調整方法が手に馴染まないこと…。Doricoでは「記譜」と「浄書」が別のモードになっていて、各種記号は楽譜上で徹底的にカテゴライズされ、楽譜上で求められている役割を実現するためのオブジェクトとして定義されます。そのためか、自動的に楽譜の要素を整列する機能が超強力。音符についても、なんとなく打ち込んだものが楽譜上で楽典的に整えられ、記譜に不慣れな人でも簡単にコミュニケーションの取りやすい楽譜を作ることができます。
また、楽譜の入力方法もユニークで、特に各種記号類は範囲を指定してポップオーバーと呼ばれる小さい入力欄を呼び出し(これもきめ細かくショートカットキーが設定されている)、例えば強弱なら”mf<ff”といった命令を入力するだけで簡単に、ここでも楽典的に整った結果となります。
Finaleはその自由度の高さから、ざっくり言うと「楽譜作成が得意なお絵かきソフト」といった印象です。だからこそ多くのユーザーに支持された、という面があるのはもちろん、細かく積み上がった機能の整合性における問題を解決できず、このような壁に突き当たってしまったのもまた事実でしょう。それに対してDoricoは徹底的に「楽譜を書く」ことに特化している印象です。そのため、楽譜を書く以外のこと(微妙な言い回し)をやろうとすると期待した挙動になりにくい。Steinberg社は数年前からヤマハの子会社になったので、国内の出版譜ニーズを満たせる機能の追加もあるといいな…と書いたところで、それだとFinaleと同じ轍になりそうですよね。ジレンマがここに。
なお、Finaleで使っていた.musxや.musファイルについては、いったん共通形式のMusicXMLを介してDoricoへインポートする方法が公式で案内されています(というか、現状ではそれしかできません)。SNSや公式フォーラム(英語版)などではDoricoで直接.musxや.musをインポートできる機能をつけてほしい、という意見を見かけました。Finaleの成長がレガシーの壁に阻まれたという事実がある以上、こういった機能が実現する可能性は高くなさそうです。
頑張っていきたい
「共通の敵」がいると団結力は高まる、という古くから有名な心理学的アプローチがありますが、こんな形で敵(危機)と対峙する機会が訪れるとは思いませんでした。現在も稼働しているコミュニティが少ないせいか(星出尚志先生のサイトにあるFinale掲示板くらい?)、日本ではSNSを中心にした動きしか見えず、それに対して公式フォーラム(英語版)はMM社・Steinberg社ともに結構荒れているようです。Doricoのサポートフォーラムで初めて立ちあがったFinaleユーザー向けのスレッドに、初めてDoricoを覚えるに際しての心構えとしていい意見があったので引用しようと思ったところ、スレッドが荒れすぎたせいかすでに削除されていました。私が意訳してTwitterに載せたものがあるので、それを引用して結びとします。みなさん、頑張りましょう!!